この作品は「もったいない」作品である。
と言うのは、この漫画のアイデアが浮かんだ時点では「これは傑作になる」という予感があったのだが、紆余曲折があって、その仕上がりに大いに不満があるからだ。
では、その「紆余曲折」について詳しく書いてみたい。
本作は「幸福屋の主人」に次ぐ、デビュー第2作目として描いたもので、初めて編集部と綿密な打ち合わせをして作ることになった最初の作品である。はっきりした締切日は決められていなかったのだが、「少しでも編集部の印象を良くしよう」というぼく自身の姑息な考えで、ほぼ不眠不休のまま、約一週間で完成させた。
その結果、絵が粗くなってしまった。いや、下手になっていると言ってもいい。完成を急ぎ過ぎたためだ。また、いわゆる「つげ義春色」をそろそろ卒業しようと、ぼく自身いろいろと試行していた時期で、絵柄の方向性が完全に固まらないままの執筆でもあったからだ。
しかし、不満の理由は絵柄に関してではない。一番の問題はそのストーリーにある。
当初この作品は、時代設定を昭和30年代に想定していた。「円柱型の郵便ポスト」や「大村昆のオロナミンCの看板」などを、ところどころ背景に挿入したりする予定でいた。だが、編集部から「NG通告」があり、急遽、現代劇に改編することになった。と言うのも、いわゆる60年代風の絵柄(つまり、つげ義春や水木しげるのサル真似風の絵柄)になることを、編集部が嫌ったためだ。しかし急に変更しようにも、簡単に出来るものではない。結局、いつの時代かよく分からないような、中途半端なものになってしまった。
また、現代劇にしたために「ある重要な場面」を泣く泣く削除することにもなった。
それは、主人公の行商人が酒に酔っぱらって、昔の思い出話をする場面だ。
——彼は戦時中、満州で骨董屋を営んでいたのだが、敗戦により、本土へ引き揚げることになる。その途中、骨董品を巡ってロシア兵と争奪戦を繰り広げる——という場面があったのだ。そもそも、なぜ彼が「行商」をしているかというと、本土へ復員してきたものの、骨董品店を開くための土地が日本には無かったためなのである。また、「争奪戦」といっても、骨董品を背負ってヌボーッと突っ立った主人公と、ロシアン・ダンスを踊るロシア兵数名が対峙するという、よく分からない一場面なのだが、これをぼくは削除してしまったのだ。
もっとも、話の展開からすると、まったく重要な場面ではない。しかし作品全体に「ある種不可詞議な雰囲気」を醸し出すためには、絶対に必要な場面であった。事実、この出来上がった作品には、執筆当初に思い描いていた「不可詞議さ」が、完全に消し飛んでしまっている。
しかしながら、ぼくは別に「編集部批判」をしたいわけではない。一番の問題は、自分自身の創作姿勢にある。
もし、どうしても現代劇にアレンジするのがイヤなら、それを編集部に主張すれば良かった。そしてとことん話し合いをすれば理解してもらえただろうと思う。しかしぼくはバカみたいに、編集部に言われるがまま、作品を「改竄(かいざん)」してしまった。これでいい作品が生まれるはずがない。しかしそういう「バカ」なことを、ぼくは実践したのだ。
なぜ、そうなってしまったのか? それはぼく自身の性格に原因がある。ぼくは、どんなに意見の相違があろうと、他人と議論を闘わすことが苦手なのだ。だからこそ、漫画を描いていたとも言える。つまり「自分の言いたいことは作品内で表現すればいい、それを読んでさえくれれば、理解してもらえるだろう」という考えがあったのだ。
しかしそれは完全に「甘い考え」であった。もっとも超一流の腕前を持つ「職人」なら話は別だが、たかが二流、三流の職人が、「黙って俺の作品を見ろ」などと言ったところで、誰も聞いちゃくれない。
結局、ぼくはストレートに自分の意見を通すことが出来ないまま、これ以後、どんどん違った方向へ作品がねじ曲がっていく。つまりこの「行商人」は、その記念すべき(?)第一歩なのである。
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