本篇がぼくの実質的なデビュー作となる。
前作「桃源郷」から2か月、「夏の華」からはちょうど丸1年目の「怪挙」であった。
絵柄的には前作同様、60年代「ガロ」風の絵なのだが、内容はまったく違う。いわゆるシュール・ナンセンス系の作品に仕上がっている。
そもそもぼくは、上京当時シュールなギャグ漫画を描いていた。もっとも、そういう作風のものを目指していた、と言い替えた方が良いかも知れない。完成度はまだまだ低かった。
では、それがどうして急に「夏の華」のような漫画に路線変更したのか? それは、これらのギャグ漫画がまったく認められなかったからだ。
「つまらない」「なにが面白いのか分からない」「途中で読む気が失せる」「荷物まとめて田舎に帰れ」(?)等々、完膚無きまで罵倒された。これらの経験は、ぼくにとってかなり大きな「トラウマ」となって残る。以後、シュール系の漫画は自分の中で「禁じ手」として封印することとなったのである。
しかし本作「幸福屋の主人」によって、その封印を解くことになる。その理由は、実は前作「桃源郷」にあった。
前述したように、この「桃源郷」は当時のぼくとしては、かなりの自信作であった。さっそく編集部に持ち込みをしようとしたが、この作品だけではページ数が少ない。そこでもう1篇仕上げ、2作品同時に投稿することにした。どうせ描くのなら毛色の違った漫画にしようと思い、ついつい「禁断」の作風を復活させてしまったのである。
こうして「幸福屋の主人」は完成した。つまり、この作品は当初「桃源郷」のおまけだったわけだ。“傑作”(…と思い込んでいた)「桃源郷」があったからこそ、この作品は描けたのである。「幸福屋」単独では、過去の悪夢を思い出して、最後まで描ききれなかったかも知れない。
その後、この「幸福屋」だけが採用され、デビューする運びとなる。だが、以上のような経緯もあって、ぼくとしては内心複雑な心境だったのを記憶している。しかし「桃源郷」は、今からすれば「ただの純文学くずれのオチなし漫画」にしか見えない。今となっては「幸福屋」が選ばれて良かったと思っている。
この作品の妙味は、一見シュールな展開ながら、最終的に「幸福」というテーマ性で締めている所にあると思う。しかし実のところ、最初からこういう話だったわけではない。下書きの段階では、単に「幸福屋という名前の、なにを売ってるかも分からないような店の主人が、そこに来た客とすっとぼけた会話を繰り広げる漫画」というものであった。ところが完成直前に、ふと「幸福を売る」というモチーフがひらめき、現在の形に改作するに至った。
これは、「夏の華」から「桃源郷」にかけて試行した「純愛もの」「純文学もの」が、無意識的に影響したものだと思う。そういう意味では、これらの作品も無駄ではなかった。これらがなければ、この「幸福屋」は全然違った話になっていたかも知れない。
つまり、本作品は「偶然の産物」だったと言うことだ。
実を言うと、これ以後、ぼくは「もう一度『幸福屋』のようなものを描こう」と幾度となく試みている。しかし、もう二度と描くことができなかった。なぜなら「偶然の産物」だったからだ。
そもそもシュール・ナンセンス系の漫画には、冗長なテーマ性など不必要である。だからこそ面白いのだとも思う。今回たまたま、そのような両者が融合した作品が出来たわけだが、「たまたま」だったから良かったのだろう。最初からこういった話を想定して作り出そうとするのは間違った態度だと思う。どっちつかずの中途半端な作品になるのがオチだからだ。
しかし、これからぼくは、その「どっちつかずの中途半端な作品」を連発しまくり、もがき苦しむことになる。
◀BACK |
▲HOME |
NEXT▶ |