前作同様「決して編集部に認められないことを知りつつ、描いた漫画」である。
もちろんどこにも持ち込んではいない。いや、もしかすると、どこか小さな出版社に本作を投稿したことがあったかも知れない。この当時、今まで通っていた編集部にイヤ気がさして、いろんな出版社へ、飛び込みで投稿していたからだ。だが今となっては、もはや記憶が不鮮明である。
しかし、いずれにせよ「ボツ作品」であることは間違いない。
「春告げ鳥」以降、ぼくは自分の作風を取り戻そうと、いろいろと試行錯誤していた。その一環として、この作品を描いたワケだが、その執筆にあたり、心懸けたことがひとつある。
それは旧作「夏の華」への“回帰”である。
正直なところ、ぼくは「夏の華」が大嫌いである。しかし、良くも悪くもあの作品がぼくの出発点である以上、無視するわけにはいかない。つまり「原点回帰」として、もう一度「夏の華」を自分なりに焼き直してみようと思い立ったのである。
例えば、登場人物の名前をまったく同じにした。主人公は「慎ちゃん」で、ヒロインの名前は「キョウコ」だ。また、舞台設定も「夏の華」同様、森の中に設定している。
だいたい「夏の華」から「桃源郷」くらいまで、ぼくは「森の中」を舞台にした話ばかり作っていた。これはつげ義春作品の影響も大きいのだが、ぼく自身の「故郷へのノスタルジア」でもあった。
しかし、編集部から「これはつげ義春の真似だ」と言われ、それ以降、ぼくはそういう「ノスタルジックなもの」を完全に封印することになる。「コンクリートの壁」や「アスファルトの道路」など、できるだけそれまでとは正反対の舞台を設定し、“編集部好み”の「現代劇」に仕上げようとした。だが、それに対して自分自身「鬱憤」がたまっていったのも事実だ。
この「夏の残骸」は、いわば、その「ガス抜き」のために描いたともいえる。
それこそ縦横無尽(?)に「森の中」を描きまくった。ちょうど5年前、なににも囚われず「夏の華」を描いた時のように、今回、なににも囚われず「夏の残骸」を描いた。
しかし本作が「夏の華」とは決定的に違う部分もある。
それはエンディングの部分だ。旧作では「安易なハッピーエンド」を迎えるが、今回はそうではない。
「夏の華」が、上京したばかりの自分の手前勝手な「エゴ」で描かれたとすれば、本作は、それに対する「反論」になっている。「そんな都合のいい話があってたまるか」というような思いで描いている。いわば二十歳当時の自分と、それから5年経って、栄光と挫折(?)を味わった自分との「価値観の違い」かも知れない。
いずれにせよ、この「夏の残骸」には、そういった、この当時の自分の心境や考え方が少なからず反映されている。そういう意味では、本作は今まで描いた全作品のうち、一番「素の自分」に近い作品と言えるのかも知れない。
しかしながら、やはりそれだけでは自己満足の域を脱することは出来ないし、ただの「マスターベーション」に過ぎない。そんなモノをいくら描いたところで、ダメなことは自分自身、じゅうぶん理解していた。
まあ、ぼく自身、この作品は嫌いじゃないし、あまりケチョンケチョンに言いたくもないのだが、しかし、この作品の最大の意義を考えた場合、結局のところ「ガス抜き」として、次のステップへの「橋渡し役」になったことであろうと思う。それ以上でも、以下でもない。これが本作の真っ当な評価だと、ぼくは考えている。
この作品を最後に、ぼくはついにブチ切れて(……じゃなかった)、フッ切れて、まったく違う漫画を描くことになるのである。
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