●春告げ鳥 1994.11.

 この時期、実をいうと、ぼくはほとんど漫画を描いていない。
 いくら描いても「ボツ」ばかりだったため、やる気が失せてしまっていたのだ。
 
 前項でも述べたとおり、「行商人」(1991年)以降、編集部通いをするようになって、ぼくの漫画はどんどん、おかしな方向へと「変質」していった。なんとか編集部に認めてもらうために、描きたくないようなものまで描きまくっていたからだ。
 実際、ぼくは「器用貧乏」なところがあって、不得手なジャンルの作品だろうと「それなり」のモノが描けてしまう(もちろん、それは決して褒められたことではない)。そんなもんだから、「こいつは一体なにが描きたいのだろうか?」と、さぞかし編集部の人間を困らせたことと思う。また同時に、ぼく自身も、自分がそもそもどんな漫画を描きたかったのか、さっぱり分からなくなってしまっていた。

 この年の1月、ぼくはその「器用貧乏さ」の集大成(?)ともいうべき、全40頁の長篇漫画を1作仕上げている。まさに「一体なにが描きたいのか、さっぱり分からない」ような作品で、どんな内容だったかあえて説明するなら、「アクション風のコメディ風のラブロマンス風の伝奇時代劇風の長篇漫画」というような体裁のモノであった。
 しかし、その当時のぼくとしては、相当な自信作でもあり、その作品が編集部にて「一顧だにされず」ボツを喰らった時には、さすがにショックを受けて、一体これからどうすれば良いのか、完全に路頭に迷ってしまった。そしてなにも描けなくなったのだ。
 
 そこで、ぼくは充電宣言(?)をして、しばらくのあいだ漫画から離れることにした。と言っても、毎日悪友たちと酒を飲みまくって、どんちゃん騒ぎしていただけである。一切漫画は描かなかったし、もちろん編集部通いもしていない。
 再び描くようになったのは、夏を過ぎたあたりからだ。
 その当時、ぼくは性懲りもなく、つげ義春の漫画を読みふけっていた。「またか!」と言われそうだが、事実なんだから仕方がない。結局ぼくの漫画家時代というのは、つげ義春からの卒業と再入学(?)の繰り返しに集約される。「古本と少女」「不思議な手紙」など、彼の初期作品集を読んで、それらに触発される形で、執筆活動の再開に踏み切ったワケである。

 この「春告げ鳥」は、そうした「充電」後の第1作目にあたる。
 半年ほどサボっていただけで、けっこう画力や構成力は落ちるもので、かなり苦心惨憺して執筆した記憶がある。主人公を学生服姿の少年にしたところなどは、いかにも「古本と少女」のサル真似のようだが、最初からそういうモノを想定して描き始めたワケではない。完成に至るまで、何度も何度も描き直しているうちにそうなったのだ。
 結局、描き上げるまでに3か月近くも要した。しかし、完成したからといって、編集部に持ち込むことはしなかった。
 というのも、この作品の「意義」は、自分の作風を取り戻すことにあったからだ。
 編集部に持ち込んで、いつものようにイチャモン付けられて、またぞろ自分の作風を見失うことが怖かったのである。それに、このような暗い感じのこぢんまりした漫画なぞ、絶対に認められないことも容易に想像できた。だから自分自身で「ボツ」にしたのである。

 しかしながら、そもそもこの作品が本当に「自分本来の作風」だと断定できるのか? 結局はつげ義春のサル真似に過ぎないのではないか?
 当時こうした疑問が、ぼくの心の中を堂々巡りしていた。それが、この作品の執筆が遅々として進まなかった原因でもある。しかし、ひとつだけ言えることは、本篇は、それまでのドタバタ・コメディ風漫画よりは、はるかに自分自身「納得ができる作品」だったということだ。
 作品が完成するまでの間、編集部はもちろん、周囲の誰の意見も聞かなかった。なんにもとらわれず、自分勝手に好き放題に描いた。
 そういう意味で、この作品は個人的には大好きな漫画なのである。


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