●真田虫太郎探偵局 1996.05.

 本作は久々に編集部に認められた作品であり、また同時に最後に描いた作品でもある。さらに言うと、実は連載「一歩手前」まで、いった作品でもあった。
 そんなワケで、ぼくとしては色々と「いわく付き」の漫画なのである。

 前述したように、ぼくはこの時期、いわゆる「原点回帰」として、短かめのギャグ漫画ばかりを描いていた。
 そして、絵コンテ(ネーム)として仕上げた10作品ほどの中から、自分自身気に入ったモノを原稿化していった。前回配信した「トラローム商人」や「ケッペル博士」などがそれである。
 しかし評価としては、決して芳しいモノではなかった。

 そこでぼくは思いあまって、原稿化しなかった他の作品を含め、「アンケート調査」を実施することにした。
 同業者はもちろん、全然漫画とは関係のないバイト先の同僚や、友だちの友だちの、そのまた友だちなど、ぼくの顔すら知らない人間を含め、大々的に「人気投票」を行った。
 そしてその結果、一番好評だったのが、実はこの「真田虫太郎探偵局」だったのである。

 正直なところ、この結果は「衝撃的」であった。そもそも本作は、当初、ぼくの中では「ボツ作品」だったからだ。今でもこの作品は、「トラローム商人」や「ケッペル博士」と比較しても、「ギャグのレベル」としては数段落ちると思っている(ちなみに人気投票では「ケッペル博士」などは「ダントツの」最下位でしたが……)。
 さらにその後、半信半疑のまま、この「真田虫太郎」を原稿化して編集部に持ち込んでみたところ、なんと「連載」の話まで舞い込む“始末”である。
 一体全体、この「ボツ作品」の、なにがそんなに評価されたのか?
 実は答えは簡単で、この作品の主人公が、ぼくの漫画には珍しく(?)、「キャラ立ち」していたからだ。つまりこの作品は、今まで描いてきたぼくの全作品中で、一番「漫画らしい漫画」だったと言うことだ。だからこそ認められたワケである。

 しかしながら、最終的には「連載却下」されて、すべてが終わる。
 この「真田虫太郎」も、連載第2話、第3話と描きかけていたのだが、全部「水の泡」となった。(ちなみに「真田虫太郎」というのは、本編では隣室に住むじいさんのことだが、連載時には、この学生服の男がそのまま「真田虫太郎」として主人公になる予定だった)
 結局、なにがダメだったかというと、ぼく自身、連載するに当たって編集部が出してきた条件を、ことごとく拒否してしまったからだ。例えば「ボケとツッコミの確立」「決め台詞の挿入」「女の子は可愛く」など、いわばギャグ漫画の「三種の神器」のようなものだが、ぼくはそれをどうしても受け入れようとはしなかったのだ。

 前項でも述べたように、当時のぼくは完全に漫画家としての「末期症状」を呈してしまっていた。ひどく自信過剰で「かたくな」でもあった。「オレはそんな『ありがちの漫画』など描かない。我が道を行くのだ」などとバカなことをほざいていた。しかし「漫画らしい漫画」を拒否する漫画家など、どこの世界にいるのか?
 しかし実際のところ、こうなってしまった一番の原因は、かつての「『浮き足立った』時代」にあったと思う。あの当時、ぼくは編集部の意見を「受け入れすぎて」、失敗したという経緯があった。だからその反動として、すべての意見を拒否するという「愚挙」に出てしまったのだ。あの時と同じ「いつか来た道」に再び舞い戻ってしまうことが、ぼくとしては一番怖かったワケだ。
 それにしても「程度」というモノがあるように思うのだが、当時の「末期症状」のぼくとしては、そのへんのバランス感覚を完全に見失っていた。もちろん、そのような態度をとり続けていては、結局は見放されることになる。そして実際そうなってしまった。とどのつまりが「連載却下」なのだ。

 これを機会に、ぼくは漫画家を辞める決心をする。
 正直なところ、ぼくはこの当時、自分の才能の限界にうすうす気付いていたし、「いつ辞めるか?」というタイミングを計っていたような気がする。そういう意味では、今回の一連の出来事は、ちょうど辞めるにはもってこいの(?)「事件」だったように思えるのである。


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