●精霊流し
2006.01.22.
す、すみません。
(い、いや、別にあやまる必要はないかも知れないが……)
実は、さだまさしのベスト盤を買ってしまったのだ。
このあいだNHKで、さだまさしと中村雅俊が「ふたりのビッグショー」(?)みたいな番組をやっていて、「秋桜」や「精霊流し」を歌っているのを見て、ついつい買いたくなってしまったのだ。
わたしは若い頃、さだまさしとか中島みゆきとか、
「あんなもん聴くようになったら“負け”だ」とか、「死んでも聴くか」などと思っていたのだが、「死んでもいいから」どうしても聴きたくなってしまったのだ。
もうトシなんだろうか?
今もブログを書きながら聴いているのだが、
ちょっと難を言えば、いかにも80年代風の「大袈裟な」アレンジとかが少々耳ざわりな気がする。
しかし、例えば「雨やどり」とか、ライブ・テイクのものもいくつか収録されていて、これらの生ギターの音色が大変心地いい。
なんなら全部ライブで収録して欲しかったくらいである。
聴いていて改めて思うのは、やっぱりこの人の歌詞の「スゴさ」である。
特に「精霊流し」が、わたしは大好きだ。
この歌は、ちあきなおみの「喝采」、沢田知可子の「会いたい」と並んで、「日本三大『死別』曲」(?)のひとつだが、歌詞のスゴさは、やはり「精霊流し」が群を抜いていると思う。
例えば「会いたい」の歌詞のなかに、「あなた夢のように死んでしまったの」というフレーズが出てくるが、あまりにも表現が直接的すぎる気がして、わたしはどうしても気に入らない。
(まあ、わたしが「ダメ出し」しても仕方ないんだけど……笑)
しかし、この「精霊流し」には、そういうフレーズは一切ない。
「死」とか「わたしは悲しい」とか「あなたが好きでした」とか、そういう歌詞はまったく出てこない。ただ淡々と精霊流しの祭りの光景が描かれているだけである。
また、死んだ男性との思い出話もまったく語られない。
かと思えば、「あなたのギターを弾いてみましたが、弦がさびついていて薬指を切りました」などという、まるで謎解きのような「近況報告」が出てきたりする。
これらの淡々とした歌詞が、三拍子の単調なリズムに合わせて語られていくワケだが、
そのあまりの「無感情さ」に、逆にわたしは、背筋が凍るほどの感動を覚えてしまうのである。
……まあ、「天才」が書いた詞について、
わたしのような凡人がいくら一生懸命「駄文」を書き連ねたところで意味のないことかも知れない。
とにかく、さだまさしの歌には日本人の「琴線」に触れるなにかがあると、わたしは思う。
彼こそ正真正銘の、本物の「演歌歌手」である。(←もちろん最大級の賛辞のつもり)
(い、いや、別にあやまる必要はないかも知れないが……)
実は、さだまさしのベスト盤を買ってしまったのだ。
このあいだNHKで、さだまさしと中村雅俊が「ふたりのビッグショー」(?)みたいな番組をやっていて、「秋桜」や「精霊流し」を歌っているのを見て、ついつい買いたくなってしまったのだ。
わたしは若い頃、さだまさしとか中島みゆきとか、
「あんなもん聴くようになったら“負け”だ」とか、「死んでも聴くか」などと思っていたのだが、「死んでもいいから」どうしても聴きたくなってしまったのだ。
もうトシなんだろうか?
今もブログを書きながら聴いているのだが、
ちょっと難を言えば、いかにも80年代風の「大袈裟な」アレンジとかが少々耳ざわりな気がする。
しかし、例えば「雨やどり」とか、ライブ・テイクのものもいくつか収録されていて、これらの生ギターの音色が大変心地いい。
なんなら全部ライブで収録して欲しかったくらいである。
聴いていて改めて思うのは、やっぱりこの人の歌詞の「スゴさ」である。
特に「精霊流し」が、わたしは大好きだ。
この歌は、ちあきなおみの「喝采」、沢田知可子の「会いたい」と並んで、「日本三大『死別』曲」(?)のひとつだが、歌詞のスゴさは、やはり「精霊流し」が群を抜いていると思う。
例えば「会いたい」の歌詞のなかに、「あなた夢のように死んでしまったの」というフレーズが出てくるが、あまりにも表現が直接的すぎる気がして、わたしはどうしても気に入らない。
(まあ、わたしが「ダメ出し」しても仕方ないんだけど……笑)
しかし、この「精霊流し」には、そういうフレーズは一切ない。
「死」とか「わたしは悲しい」とか「あなたが好きでした」とか、そういう歌詞はまったく出てこない。ただ淡々と精霊流しの祭りの光景が描かれているだけである。
また、死んだ男性との思い出話もまったく語られない。
かと思えば、「あなたのギターを弾いてみましたが、弦がさびついていて薬指を切りました」などという、まるで謎解きのような「近況報告」が出てきたりする。
これらの淡々とした歌詞が、三拍子の単調なリズムに合わせて語られていくワケだが、
そのあまりの「無感情さ」に、逆にわたしは、背筋が凍るほどの感動を覚えてしまうのである。
……まあ、「天才」が書いた詞について、
わたしのような凡人がいくら一生懸命「駄文」を書き連ねたところで意味のないことかも知れない。
とにかく、さだまさしの歌には日本人の「琴線」に触れるなにかがあると、わたしは思う。
彼こそ正真正銘の、本物の「演歌歌手」である。(←もちろん最大級の賛辞のつもり)
◀BACK | ▲HOME | NEXT▶ |