●ロックはどこへ行った?
2006.02.25.
久しぶりにブルース・スプリングスティーンの話題について書くことにします。
以前は、定期的に彼に関する「ネタ」を書いていたが、ここ数カ月はすっかりご無沙汰していた。
しかし別に「ネタ」が無かったワケではない。
例えば、彼の出世作でもあり、わが国の重要無形文化財でもある「明日なき暴走」の発売30周年を記念して、スペシャルボックスがリリースされたり、また、「紅白歌合戦」のアメリカ版ともいわれる「グラミー賞」にノミネートされたりと、いろいろと話題はあったのだが、あえて書かなかった。
と言うのも、わたし自身さすがに「飽きてきた」(?)からだ。
しかし、今回ばかりは書かずにはいられない。
どうやら、ニューアルバムのリリースが(ウワサだけど)決定したようなのだ。
以下、スプリングスティーン最大のファン・サイト「Backstreets」2月23日付ニュースより、一部抜粋してお届けいたします(Excite翻訳使用)。
「ブルースはFOLKEDを起こします」
新しいアルバムとスプリングスティーンとしての地平線におけるツアーは、ピートシーガーカバーの収集を準備します。(中略)私たちスプリングスティーン追随者が皆、知っているように、彼のプランには変化する方法があります。 今、そのE通り活動(ひところ、彼らはスタジオ今この瞬間の間、いる予定であった)が保留にされたように見えます、彼が今春にリリースのために別のソロ・アルバムを準備するとき。(中略)それはピートのようにシーガーであり、同じくらい中のどんなシーガーもボブではありません; 「やれやれを賭けながら、漫歩します」に関するブルースの意見が、テープに録音するために公約されたものを見たいと思うように、私たちは民間伝説によって書かれていて、関連するか普及されているとして唱歌集を見て……(後略)
…い、いかん。なんのこっちゃ、さっぱりわからん。
ともかく、春ぐらいには次のアルバムがリリースされそうな按配のようだ。
しかし、オリジナルアルバムではなく、ピート・シーガーのカバー集になるらしい。
カ、カバー集? ……ううむ、なんだかビミョーな心境である。
もちろん、ピート・シーガーやウッディ・ガスリーといった、
伝説のフォークミュージシャンに対するリスペクトの念はわたしも持ち合わしているつもりだ。
彼らが居たからこそ、のちにボブ・ディランが生まれ、60年代後期のフォーク・ロックが生まれ、岡林信康と吉田拓郎が生まれ(?)、そしてスプリングスティーンが生まれたワケである。
まあ、それは分かるのだが、しかし、なんで今さらカバーアルバムなんか出すんだ?
次はロックアルバムを出すんじゃなかったのか? 「E通り活動」するんじゃなかったのか?
スプリングスティーンが「花はどこへ行った」なんかをカバーしている姿なぞ見たくもないぞ。
……とか言いながら、
もし発売されたなら、結局は買ってしまうんだろうなと思う。
なぜなら、「私たちスプリングスティーン追随者」にとっては、たとえ今回のアルバムが、「ピートのようにシーガー」であろうが、「同じくらい中のどんなシーガーもボブではありません」と言われようが、「テープに録音するために公約されたもの」として、新作の「唱歌集」をついつい買ってしまうに決まっているからだ。
ああ、なんだか楽しみになってきたぞ。早く「やれやれを賭けながら漫歩」したい気分だ。
以前は、定期的に彼に関する「ネタ」を書いていたが、ここ数カ月はすっかりご無沙汰していた。
しかし別に「ネタ」が無かったワケではない。
例えば、彼の出世作でもあり、わが国の重要無形文化財でもある「明日なき暴走」の発売30周年を記念して、スペシャルボックスがリリースされたり、また、「紅白歌合戦」のアメリカ版ともいわれる「グラミー賞」にノミネートされたりと、いろいろと話題はあったのだが、あえて書かなかった。
と言うのも、わたし自身さすがに「飽きてきた」(?)からだ。
しかし、今回ばかりは書かずにはいられない。
どうやら、ニューアルバムのリリースが(ウワサだけど)決定したようなのだ。
以下、スプリングスティーン最大のファン・サイト「Backstreets」2月23日付ニュースより、一部抜粋してお届けいたします(Excite翻訳使用)。
「ブルースはFOLKEDを起こします」
新しいアルバムとスプリングスティーンとしての地平線におけるツアーは、ピートシーガーカバーの収集を準備します。(中略)私たちスプリングスティーン追随者が皆、知っているように、彼のプランには変化する方法があります。 今、そのE通り活動(ひところ、彼らはスタジオ今この瞬間の間、いる予定であった)が保留にされたように見えます、彼が今春にリリースのために別のソロ・アルバムを準備するとき。(中略)それはピートのようにシーガーであり、同じくらい中のどんなシーガーもボブではありません; 「やれやれを賭けながら、漫歩します」に関するブルースの意見が、テープに録音するために公約されたものを見たいと思うように、私たちは民間伝説によって書かれていて、関連するか普及されているとして唱歌集を見て……(後略)
…い、いかん。なんのこっちゃ、さっぱりわからん。
ともかく、春ぐらいには次のアルバムがリリースされそうな按配のようだ。
しかし、オリジナルアルバムではなく、ピート・シーガーのカバー集になるらしい。
カ、カバー集? ……ううむ、なんだかビミョーな心境である。
もちろん、ピート・シーガーやウッディ・ガスリーといった、
伝説のフォークミュージシャンに対するリスペクトの念はわたしも持ち合わしているつもりだ。
彼らが居たからこそ、のちにボブ・ディランが生まれ、60年代後期のフォーク・ロックが生まれ、岡林信康と吉田拓郎が生まれ(?)、そしてスプリングスティーンが生まれたワケである。
まあ、それは分かるのだが、しかし、なんで今さらカバーアルバムなんか出すんだ?
次はロックアルバムを出すんじゃなかったのか? 「E通り活動」するんじゃなかったのか?
スプリングスティーンが「花はどこへ行った」なんかをカバーしている姿なぞ見たくもないぞ。
……とか言いながら、
もし発売されたなら、結局は買ってしまうんだろうなと思う。
なぜなら、「私たちスプリングスティーン追随者」にとっては、たとえ今回のアルバムが、「ピートのようにシーガー」であろうが、「同じくらい中のどんなシーガーもボブではありません」と言われようが、「テープに録音するために公約されたもの」として、新作の「唱歌集」をついつい買ってしまうに決まっているからだ。
ああ、なんだか楽しみになってきたぞ。早く「やれやれを賭けながら漫歩」したい気分だ。
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