●We Shall Overcome
2006.04.30.
ブルース・スプリングスティーンの通算21枚目のアルバム、
「We Shall Overcome:The Seeger Sessions」がリリースされた。
日本盤の発売は5月24日予定なのだが、さすがにそんなに待ってはいられない。
連休前の金曜の夜に、さっそく輸入盤を購入してきて、それ以来ずっと聴き続けている。
2か月ほど前、最初にこのアルバムの発表のアナウンスがあったとき、
「へ? カバー・アルバム? なんじゃそれ?」と思い、買おうかどうかをためらったモノだ。
しかし結局、発売と同時に買ってしまった。なんとも「愚かなファン」である。
買うことにした動機のひとつとして、ジャケットの「カッコ良さ」があるかも知れない。
タイトル周りは、なんだかボンレスハムのラベル(?)みたいだけど、
下部のバンドの集合写真に、たまらなく惹かれてしまった。
ディランの「Basement Tapes」を髣髴とさせるような、まあ、「ベタ」かも知れないが、いかにも「古き良きアメリカ」を地で行くような、スプリングスティーンらしい写真である。
「ジャケット・フェチ」のわたしにとって、
思わず「衝動買い」してしまうには、もってこい(?)のジャケットだったと言える。
「ジャケットの話はいいから、内容はどうなんだ?」と言われそうだが、
実をいうと、わたし自身、もしかしてこのアルバムは「傑作」なのではないかと思っている。
そもそも、わたしはピート・シーガーといわれても2、3曲ぐらいしか知らなかったし、プロテスタント・ソングの歌い手というような認識しかなかった。
だから今回のアルバムは、とても暗いモノになるのではないかと予想していたのである。
しかしその心配は、まったくの杞憂であった。
いや、それどころか、ウキウキするほどの楽しげな曲のオン・パレードであった。
実際、こんなに楽しげに歌っているスプリングスティーンを聴くのは久しぶりである。
もしかしたら、20年ぶりくらいかも知れない。
ジャケットにもあるとおり、バイオリンやアコーディオンやウッド・ベースやトロンボーンや洗濯板(笑)や、またピート・シーガーの代名詞ともいえるバンジョーなどを手にしたバンドマンたちと、スプリングスティーンは「水を得た魚」のように生き生きとプレイしている。
「やっぱりスプリングスティーンは、こうでなくっちゃ!」という気分にさせられる。
もっとも、所詮はカバー・アルバムだし、「盟友」Eストリート・バンドも不参加ということで、
一般的には、このアルバムの評価は、スプリングスティーンの全21枚のアルバムのうち、「21番目」(?)くらいに位置するかも知れない。
しかし、それでもわたしはこの「The Seeger Sessions」を高く高く評価したい。
なぜなら、わたしは「愚かなファン」だからである(笑)。
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